宮澤笛今昔記 第8話

「ブローガーシテム導入」第3回(最終回)

1990年4月のコペンハーゲンに於ける交渉で大筋合意した内容について、その後はメール交換により契約内容の詳細を煮詰め、1990年6月コペンハーゲンにて契約書にサインし契約が成立したのです。

その内容の一部には下記のように書かれています。

ミヤザワは世界で唯一「ブローガーシステムを使用出来る」会社である。
ミヤザワは6ケ月毎にそのロイヤリティーをヨハン、ブローガー氏に支払う。
ブローガー氏の持つ世界特許は氏の責任に於いて管理される。

以上によりブローガーシステムの導入に成功した我々は、すべてのモデルにこのシステムを装着する為に次の挑戦が始まったのです。

早速、試作を開始しましたが、これまでノックピン方式でフルートを製作してきた我々には想像以上に難しく、ベテラン技術者のK氏は朝から夜遅くまで頑張りすでに3ケ月になるのに最初の試作品は完成せず、焦った私はパーツメーカーのF氏に相談したり、NC機械メーカーに出向いて相談したりの毎日でしたが、これらの協力者の支援で1990年12月には量産可能な試作品第一号が出来たのです。

1991年1月より量産を開始しましたが、これまでのノックピン方式とは全く違う製造方式により、当初は生産を30%もダウンして品質を維持したのです。

あれから25年の年月が経過し、今ではあの頃の苦労が無かったかのように毎日世界中のお客様にブローガーシステム付のミヤザワフルートが届けられていて、皆様から高い評価を頂いています。

最後にヨハン・ブローガー氏は当然のこと、これまでこのシステム導入にご尽力頂いた全ての皆様に心からお礼を申し上げ、このシリーズを閉じたいと思います。
有難うございました。

ミヤザワフルート創業者 宮澤 正