宮澤笛今昔記 第2話

5月12日朝、私が大変尊敬していたノルウェーの弊社代理店創業者であるJan Ostnes(ヤン・オスネス)氏が他界されましたので、ご冥福を祈り彼との関係をお話します。
弊社(私)は1975年当時、海外でミヤザワフルートの販売を進める為に毎年ドイツフランクフルトで開催されるMusik Messeに出かけていました。
そこで偶然友人の紹介によりこのOstnes氏と出会いました。
彼は1975年当時、ノルウェーOsloから車で30分ほど離れたLillestrom
リレストローム)という小さな町で楽器小売店を経営していました。
彼は子供の頃からピアノを弾いており、自宅には自慢のドイツ製グランドピアノが置いてあり、私が自宅を訪ねると食事の途中で席を立ちJazzの演奏を聞かせてくれました。
1976年よりミヤザワのノルウェー代理店として、ノルウェー国内の楽器店をくまなく訪れて、当時全く無名のミヤザワの販売に尽力し瞬く間にミヤザワフルートを一流品にし、時のオスローシンフォニーオーケストラの首席フルーティストTorkil Bye氏も使用する楽器となりました。
1984年の弊社創業15周年には夫妻で日本まで来て頂き楽しい1週間を共に過ごしました。
当時のエピソードですが、新宿京王ホテル25階のレストランでの夕食時、彼は赤ワインを注文し試飲をしましたが、「サワー」と言い、実に15本の試飲を繰り返しましたが、彼に気に入るワインは1本もありませんでした。
弊社創業時の恩人である彼を失った事は痛恨の極みであり、寂しい限りであります。
今はミヤザワフルート製造株式会社全社員と共に彼のご冥福を心から祈りたいと思います。
ありがとうJan。
ミヤザワフルート創業者 宮澤 正