宮澤笛今昔記 第7話

「ブローガーシステム導入」第2回

翌朝、私のホテルに来たブローガー氏は
「弁護士はあのように言ったが、私はそんな高額は考えていない」
と言う。
私は当日フランクフルト経由で帰国しないといけないので、彼には検討して4月に再度コペンハーゲンに来る約束をして別れた。

私はこのような外国人との特許使用に関する交渉は初めてあり、不得意であったので帰国後、好意にしている弁理士事務所に行って相談したり、文献を当たって勉強もしましたが、最後は両者の交渉しかないので同年4月再びデンマーク、コペンハーゲンのブローガー宅を訪れたのです。

1月訪問の際はコーヒー1杯であったが、当日彼の家に着いたとたん奥様から
「宮澤さん、私は昨日から宮澤さんと夕食する為に準備しているので是非今晩はここで食事をして下さい」
と言われ、一瞬驚くと同時にまだ何も決まっていないのにご馳走になっていいのか、、、と迷いましたが、折角用意して頂いているので
「Ok,Thank you very much」
と答えた。

今から交渉が再開されるが、何だか悪い気がせず
「もしかしたら良い条件で妥結出来る」
ような気持になった。
案の定、開口一番ブローガー氏から
「宮澤さん、前回弁護士の言った初回契約金について私は考えていない」
と言われ、一挙に緊張感から解き放された事を良く覚えている。

交渉の結果は私から提案した「ミヤザワの出荷数×ロイヤリティー」で大筋同意し、今後はロイヤリティーの中身についてお互いに勉強し、次回には正式契約するところまで話は進んだ。

交渉後、すでに時刻は夜8時頃になっていたが、奥様の手料理(デンマーク料理)と赤ワインで夜遅くまで楽しい時間を過ごしたのです。

第3回に続く。

ミヤザワフルート創業者 宮澤 正