「創業50年を振り返る」その1:人の心

私が昭和30年4月中学1年になった時、生まれ育った長野県飯島町が開校以来初めて飯島中学校に吹奏楽部を創設し、なぜか、時の音楽教師であった「有賀つるよ」先生は私をメンバーの1人として指名しました。決して音楽が好きでなかった私は躊躇したが、先輩からの助言もあり興味半分で入部する事になり、毎日放課後遅くまで練習に励んだ結果、毎日が楽しくあっという間に時間は進みました。

その後、家庭の事情もあり17歳で上京し、幸いにも日本管楽器株式会社(現ヤマハ)に就職する事になるが、会社勤めに馴染めず5年後に退社し、その後楽器店、楽器メーカーに勤務するが、いずれも馴染めず悩んだ結果、昭和44年(1969年)自ら楽器作りの道を選択することになりました。(当時26歳)

真面に楽器作りの経験が無い者が無謀にもそんな道を選んでも上手くいく筈はなく、その毎日は出口の無いトンネルで、後悔するばかりで先には何も見えない状況が来る日も来る日も続きました。

しかしながら、部品を依頼した会社、金型を依頼した会社、販売を依頼した会社、同業のS社から「協力する」との有難いお言葉をその後頂くようになりました。たった10個のネジを作って頂いたH製作所、分割払いで金型を作って頂いたI金属、前金で支払いして頂いたK楽器、技術指導して頂いた同業のS社、これらの皆様にご迷惑を掛ける事は絶対に出来ないと決意を新たにしたことを77歳の今も鮮明に覚えています。

誠に残念な事に、創業時恩人の皆様はすでに他界されていますが、この度の創業50周年はこの皆様のご協力、ご支援の結果であり、今からの50年も皆様の幸せと音楽文化発展に貢献して参る事が恩人の皆様に報いる唯一の道であり、今後も全社を挙げて頑張って参る所存です。

宮澤 正